買いと売りと待ち

酒田罫線法による操作を練習しています。基礎に10年、道具は生涯。

安堵の1手

海運にとって、今日の1手はとても良い1手だった。1306も押しの2手がいい感じだ。こうやって先の見えないカーブを曲がる様に1手1手を見ていく。カーブの先に谷底だってあるかも知れない。そういう意識を持ちながら操作する。

3連休実家に帰って、両親の居る有り難さと両親の老いについて現実的になった。そして、先日ふっと手紙を書こうと思い立ったので、少しずつ書き留めることにした。(グーグルドキュメントはどこでも文書が残せるのでべんりだなぁ)
親への手紙なんて、若い頃は恥ずかしくて絶対にヤダと考えていたが、自分から書こうなんて、きっと成熟したのだと思う。もしかしたら、親には「なにこれ?気持ち悪い。」とか言われそうだが(笑)

手紙を書いている時に、またふっと思ったのが「墓参りが好き」。お盆のお迎えは墓参りに入るのか微妙だけど、お盆になると行きたくなる。昔じいちゃんとばあちゃんと住んでいた頃は、家からお墓まで薄暗い中、じいちゃんと父と3人で提灯を持って歩いて迎えにいった。涼しくなった夕方に、普段なら近寄りもしなかったお墓が全く違う神聖なものに変わるのが何か好きだったと思い出す。墓参りは「誰かが自分を見ていることへの感謝」であるのではないか。他の人はどうなんだろうか?何か問題や課題や判断の際に自分がもうひとりいて、自分がどうするのかを見ている。本当に自分はそれでいいのか?と問う。そして、また別の誰か(何か)がもう一方で見ている。その結果が周りへの非礼にあたらないかどうか?を問う。その誰かがきっと「先祖とか亡くなったばあちゃんとかじいちゃんへの意識の現れ」ではないかと思う。
この自分を見守ってくれる誰かを意識する事の有用さは私にとってかけがえのないものであったと思う。責任感というのか、関係者意識というのかそういうものが生まれる。
その教育は仏壇だとか墓だとか仏事もあるし、お祭りやお中元とかに現れるものだと思う。結婚式をやるかどうかも関係している様な。今そういう機会が減ってきたのは、とても残念だなぁと思うので、自分の子供にはしっかりと伝えてあげたいなぁ。