信州の温泉といえば、別所や野沢、白骨、渋といった名だたる名湯が真っ先に思い浮かぶ。名だたる温泉は、もちろん間違いない。
でも、名だたる温泉以外でも、名湯なのに有名でない温泉地もある。
今回はそんな温泉地で以前から、私の頭の片隅にずっと引っかかっていた小さな温泉があった。長野県上田市の山あいに佇む「霊泉寺温泉」という。名前だけ聞けば山寺の宿坊のようだが、平安の昔から続く古い湯治場なのだそうだ。
一般的な観光案内を開いても大きく取り上げられることはまずない。ネットで調べてみても、数軒の木造旅館と共同浴場があるきりだと書かれている。派手な観光ホテルがあるわけでもなく、土産物屋が並んでいるわけでもない。世間の賑わいからすっかり取り残されたような佇まいに、私はどうしようもなく惹かれていた。お盆に長野県へいった際、ついに行くことができた。
上田から松本に向かう道で山あいに差し掛かるにつれ、内村川が車窓の脇を流れるようになる。この街道の先には、信州でも有数の知名度を誇る「鹿教湯温泉」がある。文殊菩薩が鹿の姿となって猟師に教えたという伝説を持ち、古くから湯治場として栄えた名湯だ。今では立派なホテルや旅館が立ち並び、大規模なリハビリ専門の温泉病院まで備えている。病気や怪我の療養だけでなく、静かな保養地として多くの人が訪れ、街道沿いには大きな看板や駐車場、食事処が整っている。いわば、この地域の堂々たる主役だ。
だが、目指す霊泉寺温泉は、その鹿教湯温泉のほんの手前にある。国道沿いにひっそりと立つ「霊泉寺温泉入口」という小さな看板を見落とさずに折れると、風景は一変した。快適なバイパスから、車一台が通るのがやっとの細い山道へと急激に道幅が狭まる。両脇から木々が覆いかぶさり、昼間だというのに薄暗い。ガードレールの向こうには霊泉寺川の渓流が流れ、岩肌を噛むような深い水音が響いていた。対向車が来たらどこで待避しようかと、ハンドルを握る手に少し力が入る。観光地へ向かっているというより、山奥へと迷い込んでしまったような感覚だ。「本当にこの道で合っているのだろうか」と心細くなりかけた頃、前方に木々のトンネルが抜け、ふっと視界が開けた。

山の懐に抱かれた小さな平地に、数軒の木造建築が寄り添うように固まっていた。それが霊泉寺温泉の全景だった。車を降りて足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が一段低く、静まり返っているのが肌でわかる。自動販売機がぽつんと置かれているくらいで、昭和の湯治場をそのまま切り取ったような佇まいだ。細い坂道の両脇に建つ木造宿は、長年の風雨で深い飴色に染まった格子戸や板壁を持ち、過剰な装飾を削ぎ落とした美しさがある。観光客の歓声や車の音は一切なく、ただ谷川の音と山鳥の声だけが降ってくる。まさに秘境温泉と呼ばれるにふさわしい、静謐な空気が漂っていた。
温泉街(といっても4軒しかない)の手前にこの温泉の名の由来となった古刹、「霊泉寺」が静かに佇んでいた。

石段を上がると、境内の中央に樹齢七百年を超える大欅(けやき)がそびえ立ち、青々とした葉が空を覆っている・・・はずだったが、大欅はすでに根本の部分しかない。後で調べたら、平成21年に倒木してしまったそうだ。

しかしながら、木漏れ日が苔むした石段に落ちるさまを眺めながら、この地の歴史に思いを馳せた。

霊泉寺温泉の始まりは、平安時代の安和元年(968年)に遡るという。有名な伝説に、平維茂による「戸隠の鬼女紅葉討伐」がある。勅命によって鬼女紅葉を討った平維茂は、激しい戦いで矢傷を負った。その傷を癒やすために立ち寄ったのが、この山あいに湧く湯だったと伝えられている。湯に浸かることで傷は平癒し、その地に建てられたのが霊泉寺であり、境内に湧く湯だからこそ「霊泉寺温泉」と名付けられた。正真正銘の「寺湯」なのである。武田信玄の隠し湯としても重宝され、明治の大火を経ても、素朴な湯治場として守り継がれてきた。鹿教湯が大規模に発展したのに対し、霊泉寺はその小さな輪郭を崩さぬまま、千年の時間を渡ってきたのだ。
集落の中心に戻ると、坂の途中に飾らないコンクリート造りの平屋が建っている。霊泉寺温泉の共同浴場だ。地元の住民が日常的に通い、訪れる旅人にも分け隔てなく開かれている、集落の心臓部のような場所である。


引き戸をガラガラと開けると、すぐに小さな番台と料金箱があった。

料金は二百円。小銭を入れ、履物を下駄箱に収める。番台には誰もおらず、木製の古い長椅子と、壁に掛けられた古びた温泉分析表があるだけだ。脱衣所には鍵付きロッカーなどなく、使い込まれた脱衣カゴが棚に並んでいる。服を脱ぎ、ガラス戸に手をかける。カチャリと戸を開けた瞬間、生温かい蒸気とともに、微かな石膏と硫黄の混じり合った独特の香りが鼻腔をくすぐった。土の奥深くから吸い上げられた大地の息吹を思わせる、懐かしく優しい匂いだ。
浴室の中央には、大人四、五人が入ればいっぱいになる石造りの浴槽がひとつ、静かに据えられていた。タイル張りの床と、数基の素朴な洗い場があるだけだ。そして何より目を奪われたのは、浴槽を満たす湯の透明度だった。底の青みがかった石の目までが一寸の狂いもなく透き通り、湯口から注がれる湯の波紋が広がっている。浴槽の縁からは、溢れた湯が絶え間なく床へと滑り落ちていく。加水も加温も循環も消毒もない、完全掛け流しだ。
体を洗い、手桶ですくった湯を肩にかけると、肌に触れた瞬間の違和感のなさに驚かされた。
ここは、ぬる湯と聞いていたが、真夏は外気温に影響され、ものすごく感じるそうだ。逆に真冬は、ぬるく感じるそう。
先客に、地元の方と思われる初老の男性が一人、湯船の隅に寄りかかって目を閉じていた。会釈をすると、小さく頷くだけで言葉は交わさない。湯口から落ちる柔らかな水音と、私たちが身じろぎするたびに起きる波の音だけが、高い天井の浴室に小さく反響している。
窓の外には裏山の木々の緑が揺れていた。普段、街の中にいると、私たちは常に過剰な情報や音に囲まれている。だが、この小さな湯船に身を置いていると、余計なノイズが綺麗さっぱり削ぎ落とされて心地よい脱力感だけが深まっていく。毛穴が開き、体の中に溜まっていた澱が溶け出していく感覚。目を閉じていると、自分の身体と湯との境目があやふやになり、ただあたたかい液体の一部になって漂っているような錯覚に陥る。
ふと、手前に通り過ぎてきた鹿教湯温泉のことが頭をよぎった。鹿教湯は素晴らしい温泉地だ。多くの人を迎え入れ、立派な施設で治療を施し、地域の観光と経済を支えている。看板を掲げ、発展していくことは、世の中において自然で正当なあり方だ。
けれど、そのすぐ隣で、目立つことを選ばず、宣伝もせず、ただひっそりと谷底に籠もり続けてきた霊泉寺温泉の姿に、私はより深い敬意を抱く。
世の中では、どうしても声の大きいものや派手なものばかりが注目される。数字の大きさやスピードばかりが競われ、目立たないものは軽視されがちだ。相場の世界でもまったく同じことが言える。激しく値が動き、話題をさらう銘柄には資金が集まるが、そうした派手な熱狂は往々にして短命だ。
本当に価値のあるものは、往々にして目立たない場所にある。流行に迎合せず、定位置を守り、当たり前のことを積み重ねる。この霊泉寺の湯のように、千年もの間、同じ温度で湧き続けてきた事実。それこそが何よりも強く、美しい。目立たないからこそ、守られてきた純度があるのだ。
谷底にあるこの集落は日の入りが早い。山肌に落ちる影が濃くなり、木々の緑が一層深い色へと沈んでいた。湯上がりの肌に触れると、驚くほどさらりとしていてべたつきがない。それでいて体の奥深くにじんわりとした熱の塊が確かに残っている。石膏泉の保温効果は本物だ。
共同浴場の向かいの宿から、夕餉の支度をする美味しそうな匂いが漂ってきた。煙突から細い煙が立ち上り、青い空へと吸い込まれていく。華やかな歓楽街などどこにもない。けれど、ここには人間が本来持っているはずの、素朴で健やかな営みのリズムが息づいている。
駐車場へ戻り、車の運転席に座る。エンジンをかける前に窓を全開にして、山あいの空気を胸いっぱいに吸い込んだ。土と落ち葉の匂い、そして微かな温泉の香りが混ざり合った、澄んだ風。「また、来よう」と小さく声に出してみた。
日々の生活で心がささくれ立ちそうになった時、あるいは世間の喧騒に呑まれそうになった時、この谷底の湯を思い出せばいい。誰にも知られずとも、ただ黙々と良い湯を湛え続けている場所がある。その事実を知っているだけで、これからの日常を少し背筋を伸ばして歩いていける気がした。
車をゆっくりと発進させ、曲がりくねった山道を下る。バックミラーの中で、小さな湯治場が、木々の向こうへと静かに隠れていった。
夏は熱すぎて、子供は湯舟に浸かれないし、シャワーもない。勿論現代の清潔感もなく、素朴な温泉。
泉質は間違いない。そしてパワースポット的ななにかを感じる。鹿教湯もあるので、ハシゴをしてもいいと思う。
そして、これは後で調べたらわかったのだけど、武者小路実篤が霊泉寺温泉によく滞在していたそうです。中屋旅館という場所で、今もあります。
個人的には、高校1年生の時に、とあることで入院したのですが、その時に叔母がお見舞いに持ってきた「友情」を読み、衝撃を受けたのを思い出す。