買いと売りと待ち

酒田罫線法による操作を練習しています。基礎に10年、道具は生涯。

生き残る術

昨日から暴落が始まっている。今年は3月、8月、9月近辺を底とするものが場帖からは確認できて、10月に調整となれば、日柄は妥当なのかもしれない。
こういう時に、自分があれ?前と違うと感じられる。前は、盲目であって、備えが甘かった。甘いので、調整か、陰転かが分からず。しばらく耐えるが、耐えられず投げる。という行動になっていた。
今は、多少は備えができている。そして「耐える」のではなく、「フラットにする」又は「逆の流れに乗る」という2つの操作を取り入れられるように変わった。
自己評価としては全然未熟だけど、客観的にみれば、成長と見ていいのかもしれない。そういう確認を自分自身で行って行くのも継続するコツなのかも。

「試し」とは相場で生き残る術であって、「アンテナの感度を上げる」、「次の動きに備える」ということだろう。値動きというどのような動きを取るのかわからないものに対し「どうしたらよいかわからない」時に、何より先ず優先しなければならないのは「生き残る」ことであると思う。だから、やらない、逃げるなどの緊急回避活動は正しいと個人的に思う。それは、身体が起こす反射であれば尚のこと。
何も相場だけに限らず、私生活でも同じだ。不登校、欠勤等身体が拒否すれば先ずはそれに従う必要がある。
それを自分で気づかないふりしたり、抑え込んだり、時には周りの環境でどうにもならないこともあるが、否定してはいけない。
他人が保護するより、当の本人が思いつく必要がある。

今、グラフの友として自分は「歴史の見方」をテーマとしてYoutubeを聞きながら描いている。
今更ながらに気づくのは、本来の歴史学というものは、過去起きたことから何を考えるのか?であって、決して年号や用語の暗記ではない。そういう学校教育体系になってしまったのはとても残念なことである。そしてその様な教育体系での学力評価は、人間性評価の一部であっても置き換えることはできない。
明治維新後にこの様な教育体系を作ってしまったことは間違いなく失敗である。世界標準にどの程度の意味があるのだろうか。ここ150年ぐらいである。その前の教育はどういうものがったというと「実語教」と「童子教」である。
簡単に言えば祖父や祖母に言われていた古臭い風習の教育である。しかし、生き残る術としての教育としては、個人的には有効な気がする。