買いと売りと待ち

酒田罫線法による操作を練習しています。基礎に10年、道具は生涯。

成熟を止めるモノ

教育の話題。
子供に教えなくてはいけないことがあるとしたら、子供には教えてはいけないことが存在する。そんなものはないという人はいるかも知れないが、私はあると思う。そういう話題。


お題は「お金と子ども」。内田樹
子どもにお金の使い方を教えるのはむずかしい。
喩えとして「雛鍔」の話を出す。
雛鍔」というのは、大名の子供が庭で銭を拾って、それが何であるかわからず「これはお雛さまの剣の鍔ではないか?」と供の者に訊ねるというエピソードから始まる「子供とお金」の物語である。
「金は不浄」という禁忌の感覚は私が育った1950年代まではたしかに日本のふつうの家庭に存在した。
「子供の前では金の話はしない」というのは私の家では親たちの常識であったし、「子供が人前で金の話をする」ことは即座にゲンコツを食らうほどの禁忌であった。
その点ではセックスの話に近かった。
たしかに物欲と性欲は人間の根源的なモチベーションである。
けれども、それはあまりに強く抵抗しがたく人間のふるまい方を支配するので、それを制御するだけの成熟に達するまでは子どもには触れさせない、というのが近代前期までの常識であったように思う。
それがどこかで常識ではなくなった。
それはたぶん「成熟」というプロセスが無効になった時期と一致している。
そのときに、セックスと金から子供を隔てていた人類学的な「バリヤー」も消失した。
子供のときに金/セックスに触れてしまった子供は、成熟を妨げられる。
というのは「成熟する」というのは「金やセックスに触れてもよい人間になること」を遠い達成目標に掲げてさまざまのイニシエーションの条件をクリアーしてゆくことだからである。
だから、幼児に対する性行為についてはきびしい人類学的禁忌がいまでも(部分的には)有効である。
けれども、金との接触に対する禁忌はほとんど無効になった。
それはおそらく「成熟なんかしなくても、いい」ということについての社会的合意が成立したからである。
それはおそらく「人々が幼児的であればあるほどそのことから私は利益を得ることができる」と信じている人間の数がどこかで閾値を超えたからであろう。
お金とセックスは確かに、私でも子供時代には禁忌とされてきた。家では小遣い制は取られず、必要な場合に母親に理由話して必要な分だけもらう。いかがわしいものは目の前から排除される。
しかし、小6ぐらいには既に周りから少しずつ汚染されていた様に思い出す。まわりが、小遣い制で自由に使えるのに、私は使えなかった。たしか、「コロコロコミック」は買うのを許され、後は文具ぐらいだったと思う。ばあちゃんには、お小遣いをコソコソ貰っていたが(笑)たぶん親にはバレていたと思う。
エロ本も中学3年になるまで見たこともなかった。
たぶん、子供に正しい性教育といって、早い段階で教えてしまうと、未熟な子供は、現実よりその時の感情を取ってしまうリスクが高い気がする。自分がそうだったからよく分かる。
今は、スマホがあればどんな情報でも見ることができる、便利だが他方幼稚になるという不便なところもあるのかと思う。