買いと売りと待ち

酒田罫線法による操作を練習しています。基礎に10年、道具は生涯。

言語教育の基礎と正論

私が担当する勉強会の方針は「ちょい難しいけどおもしろいだろ?皆で取り組み、そして議論しようよ」と思わせることではあるが、やってみるといつもシーンとして、質疑応答は僅かであり、それも趣旨とずれる内容が多い。今回もそうだった。そして、社長や上司に「難しいよ。もっと簡単にできないの?猿でもわかるようにして。」と言われる。「はい」とはいうが、そのつもりはない。
説明には高等な事や専門用語を避けて別の表現でわかりやすくしているつもりがだが、それでもあまり理解されていないようだ。
私の経験では、多少は難しいぐらいが興味がでる。自分で調べる気にもなるし、調べて理解した後の達成感は気持ちいい。

そしたら、内田さんの記事で同じ様なことがあったので、少し安心した。言語教育の基礎のようだ。

「難しさ」とは何か? 一部だけ抜粋

僕たちは母語を習得するときに、自分が知らない語が、自分が知らない文法規則に基ついて、自分が再生できない音韻で語られるのを聞いて育ちます。人間というのは「そういうこと」ができる生き物です。知らない言葉を浴びるように聞いているうちに、知らない言葉の意味がわかってくる。


今日の午前中に、会社の後輩から、取引先から不正処理を頼まれているが協力してくれないか?と相談があった。大したことではないと安易に引き受けた様子。
うちの商品を新規に導入してもらうことになったが、取引先での登録漏れがあり取引先のシステム上登録データ書類をメーカーが確認、押印し返信しないと企画実施日に間に合わなくなるという。だから、登録情報の確認をしていないのに、メーカーから書類に押印し返信してくれと頼まれた。本人は大したことではないし、先方も困っているから協力してくれと頼んできた。
私はきっぱりと「システムの意味がない。メーカーが確認する意味はなんだ?後戻りできなくなるからメーカーが確認するんだろ?」と断った。そうしたら「正論ですが、そんなこと言われると私は営業ができません」と来たもんだ。私は「君が言うのも正論なのかもしれないが、1度不正を許容すると今後も不正を許容しつづけることになる。」と返した。
「大した不正でなくても、不正に協力すると引き受けるな。不正を頼む奴には近づくな。運気が逃げるし、不幸になる。」といっちょ前に説教した(笑)
分かってくれたかどうかはわからないが、私は不正には協力しない。それで首になるなら、不正を認める会社だとさっさと諦める。なぜそう思えないのか?

私は「正論だよ。でも・・・」という奴は信用しない。なぜ正論を全うしないのか?私には分からない。正論ならその通り実行しろよと。正論だって1つじゃない。「でも・・・」というやつはハナから自分の都合で否定したいだけ。そうやって逃げる口実を作っているだけで、いざと言う時に必ず逃げる。
結局は、類似商品の登録情報を流してもらい、メーカー確認時に修正案があるとして押印、返信し、時間稼ぎと確認作業を同時にやることにした。ギリギリだが仕方ない。こっちが悪いわけではないし、何とか間に合うし、先方の登録ミスもバレない。